鹿谷勲 奈良・まつり旅

長年の奈良民俗に関するフィールドワークの成果をまとめています

大和モノまんだら (5) 箸 -カミの箸・ヒトの箸-

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ーカミの箸・ヒトの箸ー

文 鹿谷勲
題字 松本碵之

ナイフ・フォーク派と箸派
レストランに入ると、ランチにナイフとフォーク、さらに箸が添えてあることがある。あなたはどちらを選ぶだろうか。私の場合は後者が多いように思う。前者の人でも、よほど西洋化した生活をしていない限り、毎日一度以上は箸を使って食事をしていることだろう。朝夕は自宅で塗箸を、昼は外食で割箸を使うという人も多いだろう。

箸の受容地 平城京
日本でいつから箸が用いられたのだろうか。
三世紀のわが国の風俗を記した『魏志』倭人伝には、「食欲には籩豆(籩も豆も器の名)を用い手食す」とあり、当時の人々は、手づかみでものを食べていた。
箸は七世紀に中国から伝わったとされるが、出土事例から見るとどうであろうか。藤原京跡からはわずかしか出土しないが、平城宮跡の内裏付近のゴミ捨て穴からは、たくさんの箸が見つかっている。次の長岡京跡からは一万本近くが発見されている。初めは箸の元も末も同じ太さであったのが、長岡京では先を細くしたものが大多数だという。次第に日本化してくるのが分かって面白い。
佐原真氏はこのことから、藤原宮(六九四〜七一〇)では下級役人はほとんど箸は用いず、手づかみで食べていたのが、平城宮(七一〇〜七八四)の時代に使われるようになり、八世紀末の長岡京(七八四〜七九四)では器用に箸を操り、役所からその家族にも広まり始めたと想定している。(「箸の起源」『講座食の文化第四巻家庭の食事空間』一九九九)
箸を用いる新風は、支配階級から次第に庶民へ広がった。いまでも子供が成長の過程で、手づかみから不器用に箸を使うようになる変化を、八世紀の平城京は体験しつつあったわけだ。

割箸の産地 大和
箸の歴史の中で、割箸の登場はかなり遅れる。江戸時代末期の『守貞護稿』によれば文政年間(一八一八〜三〇)以降とされる。引裂箸と呼んで、三都(江戸・大阪・京)の幌圏で使い始めたとしているが、『万載狂歌集』(一七八三)に「あれ一二輪山の杉のはし一本のはしを二体にひきさき」とあるので、さらに~瓶締るようだ。箸墓伝説のある三輪と割箸の関係には、興味をそそられる。
この割箸の産地としてその名を知られているのが、吉野郡下市町である。材料としては、のちには檜も用いられるが、良質の杉割箸が、芳香と割れやすさのために特に喜ばれる。その背景には、吉野杉などの豊富な木材資源の供給があった。幕末には商品生産が行われ、明治二〇年代には、関東にも販路を拡大し、大正期には全国の需要のほとんどを満たすまでに発展した。

箸の製作
下市町では家内工業として箸が作られている。自宅のミセの間を板張りにして、ここが仕事場になる。各工程で機械化がなされているが、手作りで角箸を作る東秀利氏をお訪ねしたことがある。アテという削り台の上で扇形に角箸を並べてカンナで一度に形を整えていく。返し棒を用いて、この扇形
の箸の連なりを一度にひっくり返す。見事な手さばきだ。
吉野郡野迫川村北股の西本喜作さん宅でも著作りを見せていただいた。ミズキの両口箸を作るのが本職であった。丸太を箸の寸法に合わせて切り、両端の木口をセンで削る。さらに木構で荒割りをして、勘でさらに小割りし、削り台の上に置いて小さくカンナで削る。慣れるまではよく指を削ったという。百人前を一把(二百本)とし寶で束ねるが`その姿は『人倫訓蒙図彙』に描かれたものとそっくりだった。いただいて帰り、自宅で使ってみて心から篤いた。姿はいびつな所もあるが、なんと手に優しく使いやすいことか。塗箸を放り出して、この箸で夕食をとるのが当時の私の楽しみだった。

箸を用いない習俗
現在、箸は調理用と食事用にもっぱら用いられる。調理用の箸は「菜箸」で竹製が多い。食事用としては、料理を取り分ける「取箸」や個人ごとに用いる「銘々箸」がある。銘々箸には塗箸が多いが、一回使えば捨て去る銘々箸が先の「割箸」だ。食事用の箸は、近年さまざまな形姿の趣向を凝らしてあちこちの店頭に並べられ、食卓を演出する大切な道具となっている。
これら食にかかわる著以外にも、炭火をつかむ火箸もかっては家庭には必ず置いてあった。神への供物に添えられる箸や骨を拾う箸、麻織物である奈良晒を作喝鍋程輻、原料である瀞縄{嬲を腱くときに用いるコクバシ(扱著)などもある〟しかし、各地の宮座行事などを見ているともう一つの習俗があることに気づく。それは箸を用いない習俗だ。月ヶ瀬村桃香野の八幡神社では、参籠所のコモムシロの上に座衆が座り、和紙の上に並べたトロロ昆布などを指も使わず、紙を持ち上げて口でそのまま食べる。また滋賀県朽木谷の麻生の正月行事「シイラ切り」では、扇子を少し開いてその上に下げられた供物を置いて食べる仕草がある。新風俗の箸はまず神の用いるもの、人は昔通りの手づかみで、という意識のなごりなのであろうか。

しかたに いさお(日本民俗学会員)


Written by 鹿谷 勳

9月 29th, 2012 at 2:12 am

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