鹿谷勲 奈良・まつり旅

長年の奈良民俗に関するフィールドワークの成果をまとめています

奈良の伝統行事 (34)  ネギサン、ポッシリ -河合の弓引き行事- (2008)

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ネギサン、ポッシリ
-河合の弓引き行事-

文・写真 鹿谷 勲

八日薬師
今年一月八日、久しぶりに吉野郡上北山村河合を訪れた。この日は薬師堂会式(八日薬師)の日で、弓引き行事(弓矢祭、弓打ち)が行われる。直垂に烏帽子を付けたネギ(祢宜)、裃姿のカミドノ(上殿)とシモドノ(下殿)、さらに紋付袴に烏帽子を被ったユリカエシ(射返し、引き返し)の四人の青年が射手を務める。中学一年生頃からまずネギを務め、翌年にはカミドノ、翌々年にはシモドノと毎年順番に務め、四年目にユリカエシを務め終えると一人前と言われた。以前は一五歳頃からネギを務めたという。

矢初め・的踏み
正月二日は矢初めの日で、景徳寺の背後の斜面に的場と射場を設ける。その後、弓の初稽古があり、夕刻にはトーヤ宅で小宴が開かれる。河合には一年交替で神社や寺の世話役を務めるネンニョ(年預)という役があり、そのネンニョがトーヤとなって射手たちをもてなす。射手たちは元はこの日からネンニョの家に泊まりこんだが、現在は七日の夜のみとなっている。七日はまた的踏み(的組み)の日でもある。良質の杉を剥いで薄い板にして、これを網代に編んで直径1.6メートルほどの的を作る。的の周囲はタク(楮)の皮できちんとかがる。柳を焼いて作った炭を摺って、三重の同心円を描くと立派な的が完成する。

水垢離・矢立ち
射手とトーヤは八日未明に起きて、水垢離を取る。肌を刺す暗がりの中、凍りついた橋を下駄で滑らないように気をつけて渡り、八坂神社の宮の下の河原に降りる。見ているだけで寒気がするなか、一気に北山川に飛び込む。終わると氏神に参拝して、さらに薬師堂に赴いて幟を立てる。トーヤに帰るとヌクモリといってゼンザイを食べる。

翌朝一〇時頃から、青年団長や自治会長、その他地区の役員などを招いて、矢立ちの宴が催される。祝いのヨイサ節なども出て賑やかな宴となるが、最後に矢立ちの儀として、門出の盃を交わす。トーヤ宅から行列を作って景徳寺裏の射場に赴き、午後一時頃から弓引きが始まる。

弓引き
弓引きには二段階がある。まず的の前で、景徳寺の住職が読経し、小さな梅の弓で正面左右の三方を合計六回射る。そのあといよいよ五〇メートルほど離れた下の射場から青年達の弓引きが始まる。

まずユリカエシが、的を狙わずに一対の矢を放つ。住職の行う儀式的な弓引きの後だけに、豪快で周囲からホーと声が上がる。このあと、三人の射手が、射場に敷いた板敷きの上を摺り足でゆっくりと前進後退しながら、様式化された作法に則って、順番に矢を放つ。射場の北側の高所には薬師堂が立ち、ここから読経のコエと連打する太鼓の音が響いて、その場の緊迫感が盛りあがる。初めは、ネギ・カミ・シモの順で、二本ずつ、次にカミ・シモ・ネギと引き下がり、三度目はシモ・ネギ・カミと引き上がって射る。二回目と三回目の間には、スケダチ(助太刀)といってユリカエシと青年団員のうちの経験者が射る。一番年少で緊張しているネギに「ネギサン!ポッシリ!」と掛け声がかかる。見事、的に当たると「ウマーイ!」と歓声が上がる。終わると薬師堂へ参拝し、ここでゴクマキが行われる。かつてはこの弓引きの折りに、「鉄砲の性根入れ」として空砲を撃った。随分前に初めて訪れた時、突然そばで大きな音が鳴り、仰天したことがある。

青年の清々しさ
県内では鬼打ちやケイチンと呼ばれて、正月に各地で弓引き行事が今も行われている。正月に災いを祓い、人々の平穏無事を願って神主や住職や宮座の長老が行うことが多いが、オコモリと禊ぎを伴い、さらに僧侶と青年の二部の構成を持ち、尚武の気風を伝える青年による弓引き行事は珍しい。晴れた正月の空の下。独特の清々しさを人々の心に残して行事は終わった。

※「河合の弓引き行事」は奈良県指定無形民俗文化財(平成一四年三月指定)

しかたにいさお
奈良県立民俗博物館学芸課主幹


Written by 鹿谷 勳

9月 30th, 2012 at 2:11 pm

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