鹿谷勲 奈良・まつり旅

長年の奈良民俗に関するフィールドワークの成果をまとめています

Archive for the ‘「大和モノまんだら」’ Category

大和モノまんだら (27) 鳩 -屋根の上の動かぬ鳥-

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Written by 鹿谷 勳

9月 28th, 2012 at 11:18 pm

大和モノまんだら (29) 笠 -田植えの呪物-

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Written by 鹿谷 勳

9月 28th, 2012 at 10:20 pm

大和モノまんだら (31) ダンゴ -花見ダンゴと泥ダンゴ- (2011)

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「あかい奈良」2011年 秋 vol.53 に掲載

ダンゴ
ー花見ダンゴと泥ダンゴー

文・ 写真 鹿谷 勲

ホーランヤとダンゴ
盆の八月一五日、橿原市東坊城町では、神社で燃えさかる大松明を担ぎ廻るホーランヤという盆行事がある。割竹と菜種ガラなど素朴な材料で作られた大松明は美しい造形を見せ、眺めるのも楽しいが、この日もう一つ賑わうところがある。土産に持ち帰る客がひっきりなしに出入りするダンゴ屋さんである。串に刺したダンゴに、ほのかな香りのきな粉がしっとりとまとわりついて、懐かしい味がする。竹や菜種、大豆に米、すべて農村でありふれた材料で作り出した行事と食べ物である。

チュウマイのダンゴ
今ではダンゴというと和菓子屋の 「三色団子」、いわゆる「花見団子」を思い起こすが、そのような上品な食べ物ではなかったことを、大宇陀出身で長年民家の茅葺きに携わり、国の文化財保存技術の保持者に認定されている隅田隆蔵さん(大正一五年生)が話してくれた。粳米にして蒸して作るダンゴは、中米で作るのが普通で、いい米は売らねばならず、そんな米でダンゴを作ることができるのは、限られた家だけであったという。炊いても食べられないような米をダンゴにして食べるのだから、そんな米を中米とも言わずにダンゴモン (団子物) と呼んだという。そのダンゴモンも搗き過ぎて細かな粉になるとカサが減るといい、ヨゴミ(蓬)を入れて増量したり、砂糖を効かさないと食べられないという。要はダンゴはまずい米の食べ方の一つだったのだ。

石床神社と消渇神社
かつて平群町の石床神社を訪れたことがある。近鉄生駒線竜田川駅を降り、西へ歩いて生駒山麓輔西に進むと、尾根の先端に越木塚という集落がある。その集落の南西はずれに石床神社がある。
平安時代の延喜式神名帳に載る所謂「式内社」だが、江戸時代の『大和志』 (享保二一年) に「平群石床神社」として「越木塚村二在リ、称シテ巖上祠ト曰フ、傍ニ巨石有リ石床ト名ヅク」とあるように、巨大な巖塊が御神体で、社殿はなく小さな鳥居があるばかりだ。見上げると、巨大な岩が左右に二つ接して、平たい岩の上に乗ったようになり、両岩が接する辺りには、縦長の小さな岩が挟まっている。右の岩の方が大きく、 高さ七、八メートル、幅一〇数メートルほどもあるだろうか。自然が作り出したこの特異な景観は、見る者を圧倒する。
しばらく眺めていると、単なる甥眠ではなく、その形状から「陰石」として信仰されてきたことが判ってくる。この神社は、大正一三年に集落北東の氏神謝系謡鳴神社に合祀され、いまではこちらが石床神社と呼ばれている。境内も広く、流造り檜皮葺きの本殿の左右には、春日造りの小さな社殿が一社ずつ並び、瓦葺きの拝殿も建っている。その拝殿の左手には高い石垣があり、その上崎灌漑神社がある。

泥ダンゴ
この神社には泥ダンゴを供える風習が伝わっている。割拝殿の奥には供物台があり、上には六センチ四方ほどの小さな折敷がずらりと並ぶ。中には直径二センチほどの泥のダンゴが一二個盛ってある。願い事のある人は、泥のダンゴを一二個作って供え、願いが叶えば、本物の米のダンゴを供えるのだという。下の境内には、泥ダンゴを揃えるための土や折敷も用意されている。
消渇神社は石床神社の「下の宮」 と呼ばれており、女性の病気や性病に効験があるといい、かつては京都祇園から駆けつける者もあったという。また廻国途上の山伏が歩行困難となり、この神に祈願して病気が平癒したという話も残されている。「消渇(しょうかつ・しょうかち)」とは室町時代の辞書には既に登場する言葉で、喉が渇いて小便が出なくなる病気とも、婦人の淋病とも言われる。

人と神の駆け引き
しかしなぜ、願掛けする者が子供の遊びのように、泥のダンゴなどを供えるのだろうか。願を掛ける場合、願いが叶えば「砂持ちをする」、 「千灯明をする」、「太鼓踊りを奉納する」などと、願が満ちた時に行う事柄をあらかじめ心中で念じて祈誓を行う。この場合は、「叶えてくだされば、もっとおいしいダンゴをたくさん供えます」という意味で、はっきりと見えるように願満時のお供え物を神前で示したうえで、願を掛けるのだろう。「見せ金」という言葉があるが、これは「見せダンゴ」で効験を得ようとしているのだ。願う効験を引き出そうとする人間と神と の間にしつかりとした駆け引きがあるのだ。古代人の素朴な直感から端を発した巨石信仰から、陰石の信仰が強まるようになり、女性の神の強い力を背景として、同類の信仰圏と言える消渇神社が、より具体的に人々の願いに応える神として繁栄するようになったのだろう。
広島県でも山の神や荒神さんに土ダンゴを供えるという。大竹郡の山村では小豆の握り飯をダンゴと呼んで、半分食べて残りを山の神に供えるという。ここでも神と人のダンゴを巡る駆け引きがあるようだ。

しかたに いさお
奈良県立民俗博物館学芸課長

Written by 鹿谷 勳

9月 28th, 2012 at 9:09 pm

大和モノまんだら (33) コヨリ -神の力を遷し、人の想いを伝える紐-

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Written by 鹿谷 勳

9月 27th, 2012 at 2:16 am