鹿谷勲 奈良・まつり旅

長年の奈良民俗に関するフィールドワークの成果をまとめています

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奈良の伝統行事 (20) 箸尾の戸立祭り

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文・写真 鹿谷 勲
箸尾の戸立祭り

箸尾の弁天さん
十月三十一日夕方、近鉄田原本線箸尾駅に降り立つ。箸尾弁財天として知られた櫛玉比女神社の宵宮の日だ。同社は前方後円墳の後円部に本殿がある。祭神は櫛玉比女命。十三世紀終わりごろに、天河弁財天を勧請したと古記は伝えている。
秋祭りにしては遅いので、寒くて戸を立てるころだというので「戸立祭り」と呼ばれる。エソ(魚)を食べたので「エソ祭り」と呼ばれていたこともある。この日、氏子である大字萱野・的場・南・弁財天の四地区からダンジリ(地車)が一台ずつ出る。落ち着いた佇まいの町並みを歩いていると、鐘と太鼓の音が耳に飛び込んでくる。狭い道をいっぱいになって進む南地区のダンジリだ。

四大字のダンジリ
大屋根と小屋根の二つの唐破風の屋根を持った通例のダンジリだが、屋根の鬼板部分三ヵ所には見事なヒノキの削り皮が長く垂れている。御幣だという。真新しいこのカンナくずがダンジリに特有の清浄感を漂わせている。軒先には紅提灯をつり、四隅には雪洞が飾られている。前には引き網が二本付いて、青年桐が引く。後部には「御寄付御礼」と書いた紙幟が挿してある。この大きなダンジリの走行を調節するのが台部に付いている大梃子一本と小梃子二本である。青年団のOBで構成する自警団の団員が方向転換をする。このあたりでは、地区によって異なるが、高校生から三十歳くらいまで青年団に属し、終えると自警団に入る。自警団とは今はあまり耳にしない言い方だが、年齢階梯による社会集団が健在なのが、この辺りの特色だ。正面には大字代表や青年団長、実行組合(農家組合)長、自警団長などが羽織袴姿で威厳をもって座っている。
このダンジリを引きながら町なかを一軒ずつ巡り、酒一升と祝儀をもらうたびに、伊勢音頭をにぎやかに歌う。
教行寺前で休憩する萱野のダンジリ、大福寺門前の的場のダンジリ、さらに参道近くに止まる弁財天のダンジリと一通り見終わったころには、すでに日は暮れてひんやりとした冷気が漂い出してきた。

宮入り
近くで夕食を済ませて再び神社へ向かうと、北に伸びる参道には、弁財天、南、的場、萱野の順でダンジリが一列に並んでいる(宮入りの順番は、宮本である弁財天を先頭に毎年不変)。境内に宮入りするためだ。拝殿では四大字の区長が羽織袴姿で提灯を持って宮入りを待っている。
七時半過ぎ、小雨の降りしきるなか、先頭の弁財天のダンジリが境内入り口に姿を見せた。ダンジリの前では青年たちが盛んに伊勢音頭を繰り返し、気勢を上げている。出発が待ちきれないように、ダンジリは小刻みに左右に動き、尻を持ち上げたりする。拝殿からはまるでダンジリが生きもののように見える。ついに綱を引いて、カープを描いて拝殿のすぐ前まで一気に突進してくる。拝殿の軒先すれすれでピタリと制止させるのが腕の見せ所だ。止まるとダンジリの上から御幣が神官に手渡され、本殿に供えられる。

伊勢音頭
区長は自地区のダンジリの宮入りの時には提灯を持ってこれを出迎える。若者たちははっぴ姿や上上半身裸のままで、「ここの館はめでたい館」「さした盃、中見て飲みゃれ 中は鶴亀 舞を舞うよ」などと代わる代わる伊勢音頭を声の限りに歌い続ける。一節歌うと、その若者を拝殿の鈴に頭を打ち付けるほど持ち上げたりする。時に全員でワッとばかりに拝殿に重なるように倒れ込む。その上から巫女が鈴でお祓いをする。その間もダンジリに乗った役員は、威儀を正したまま、熱狂する若者たちをじっと見つめている。ほぼ三十分ごとにこの「宮入り」が合計四回繰り返される。
九時十五分ごろ、最後の萱野のダンジリが宮入りを終える。拝殿では祭典が始まり、神楽が舞われる。その間も一般の参拝者は次々とお参りをして、鈴をならし、ダンジリの前では伊勢音頭が繰り返され、歌の波はいよいよ高まる。青年たちはいつしか一つの輪になり、十時を過ぎても歌声は止まない。若者の間で伊勢音頭が今もこれほど健在なのも珍しい。なにより、あふれんばかりの青年の熱気の漂う祭りも珍しい。秋冷の夜空に響く伊勢音頭を聞きながら、足腰は冷えていたが、私の心は弾んでいた。

しかたに いさお
日本民俗学会会員

Written by 鹿谷 勳

10月 1st, 2012 at 2:08 am

奈良の伝統行事 (34)  ネギサン、ポッシリ -河合の弓引き行事- (2008)

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ネギサン、ポッシリ
-河合の弓引き行事-

文・写真 鹿谷 勲

八日薬師
今年一月八日、久しぶりに吉野郡上北山村河合を訪れた。この日は薬師堂会式(八日薬師)の日で、弓引き行事(弓矢祭、弓打ち)が行われる。直垂に烏帽子を付けたネギ(祢宜)、裃姿のカミドノ(上殿)とシモドノ(下殿)、さらに紋付袴に烏帽子を被ったユリカエシ(射返し、引き返し)の四人の青年が射手を務める。中学一年生頃からまずネギを務め、翌年にはカミドノ、翌々年にはシモドノと毎年順番に務め、四年目にユリカエシを務め終えると一人前と言われた。以前は一五歳頃からネギを務めたという。

矢初め・的踏み
正月二日は矢初めの日で、景徳寺の背後の斜面に的場と射場を設ける。その後、弓の初稽古があり、夕刻にはトーヤ宅で小宴が開かれる。河合には一年交替で神社や寺の世話役を務めるネンニョ(年預)という役があり、そのネンニョがトーヤとなって射手たちをもてなす。射手たちは元はこの日からネンニョの家に泊まりこんだが、現在は七日の夜のみとなっている。七日はまた的踏み(的組み)の日でもある。良質の杉を剥いで薄い板にして、これを網代に編んで直径1.6メートルほどの的を作る。的の周囲はタク(楮)の皮できちんとかがる。柳を焼いて作った炭を摺って、三重の同心円を描くと立派な的が完成する。

水垢離・矢立ち
射手とトーヤは八日未明に起きて、水垢離を取る。肌を刺す暗がりの中、凍りついた橋を下駄で滑らないように気をつけて渡り、八坂神社の宮の下の河原に降りる。見ているだけで寒気がするなか、一気に北山川に飛び込む。終わると氏神に参拝して、さらに薬師堂に赴いて幟を立てる。トーヤに帰るとヌクモリといってゼンザイを食べる。

翌朝一〇時頃から、青年団長や自治会長、その他地区の役員などを招いて、矢立ちの宴が催される。祝いのヨイサ節なども出て賑やかな宴となるが、最後に矢立ちの儀として、門出の盃を交わす。トーヤ宅から行列を作って景徳寺裏の射場に赴き、午後一時頃から弓引きが始まる。

弓引き
弓引きには二段階がある。まず的の前で、景徳寺の住職が読経し、小さな梅の弓で正面左右の三方を合計六回射る。そのあといよいよ五〇メートルほど離れた下の射場から青年達の弓引きが始まる。

まずユリカエシが、的を狙わずに一対の矢を放つ。住職の行う儀式的な弓引きの後だけに、豪快で周囲からホーと声が上がる。このあと、三人の射手が、射場に敷いた板敷きの上を摺り足でゆっくりと前進後退しながら、様式化された作法に則って、順番に矢を放つ。射場の北側の高所には薬師堂が立ち、ここから読経のコエと連打する太鼓の音が響いて、その場の緊迫感が盛りあがる。初めは、ネギ・カミ・シモの順で、二本ずつ、次にカミ・シモ・ネギと引き下がり、三度目はシモ・ネギ・カミと引き上がって射る。二回目と三回目の間には、スケダチ(助太刀)といってユリカエシと青年団員のうちの経験者が射る。一番年少で緊張しているネギに「ネギサン!ポッシリ!」と掛け声がかかる。見事、的に当たると「ウマーイ!」と歓声が上がる。終わると薬師堂へ参拝し、ここでゴクマキが行われる。かつてはこの弓引きの折りに、「鉄砲の性根入れ」として空砲を撃った。随分前に初めて訪れた時、突然そばで大きな音が鳴り、仰天したことがある。

青年の清々しさ
県内では鬼打ちやケイチンと呼ばれて、正月に各地で弓引き行事が今も行われている。正月に災いを祓い、人々の平穏無事を願って神主や住職や宮座の長老が行うことが多いが、オコモリと禊ぎを伴い、さらに僧侶と青年の二部の構成を持ち、尚武の気風を伝える青年による弓引き行事は珍しい。晴れた正月の空の下。独特の清々しさを人々の心に残して行事は終わった。

※「河合の弓引き行事」は奈良県指定無形民俗文化財(平成一四年三月指定)

しかたにいさお
奈良県立民俗博物館学芸課主幹

Written by 鹿谷 勳

9月 30th, 2012 at 2:11 pm